名古屋城の鎮護となっている尾張四観音の一寺院『龍泉寺』をゆとりーとラインで訪れた名古屋市の北東にある守山区竜泉寺という名の地名に建立されている
『竜』は『龍』の略字であり、古字でもある。じいんの正式名称は『龍泉寺』となっている
庄内川、濃尾平野を眼下に見下ろす守山の景勝地にたたずむ龍泉寺は、天台宗に属し松洞山大行院と号し、延暦年間(782‐806年)、伝教大師最澄が創建したといわれています

ぶらり四季散歩 名古屋・龍泉寺について





① 龍泉寺の歴史
- 伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った
- そのため龍泉の名前もこの話に由来するといわれています
- 弘法大師空海も同じように、熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しており
- 龍泉寺は熱田の奥の院といわれてきました。このため、この寺は伝教・弘法大師の開基ともされています
- このように長い歴史をもつ龍泉寺ですが、これまでに二度の火災に見舞われています
- 天正12年(1584年)小牧長久手の役のおり、豊臣秀吉が当山に陣し退却するとき、池田勝入の部下により放火焼失、慶長3年(1598年)、秀純大和尚が堂塔を再興しました
- 明治39年(1906年)に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが灰と化しました。
- ところが幸運にも、焼跡から、慶長小判百枚が発掘されたので、それを基金とし、多くの御信者の御寄付とをあわせ、本堂が再建され、今日に至っています
- 龍泉寺は、荒子観音、笠寺、甚目寺と並んで尾張四観音の一つとして、 毎年2月3日の「節分会」には数万人の近在の参拝者で賑わうことでも有名なお寺です
- 400年程度前に、徳川家康が名古屋城築城の際に、名古屋城から見て鬼門の方角にあたる寺院を名古屋城の鎮護として尾張四観音と定めた


② 龍泉寺と天台宗


・最澄は延暦7年(788年)、薬師如来を本尊とする一乗止観院(いちじょうしかんいん)(現在の総本堂・根本中堂)を創建して比叡山を開きました
・最澄が開創した比叡山は、日本の国を鎮め護る寺として朝廷から大きな期待をされ、桓武天皇時代の年号「延暦」を寺号に賜りました
・最澄は鎮護国家の為には、真の指導者である「菩薩僧(ぼさつそう)」を育成しなければならないとして、延暦寺から多くの高僧碩徳を輩出することになりました
・特に鎌倉時代以降には、浄土念仏の法然上人、親鸞聖人、良忍上人、一遍上人、真盛上人など
・禅では臨済宗の栄西禅師、曹洞宗の道元禅師、法華経信仰の日蓮聖人など
・比叡山は日本仏教各宗各派の祖師方を育みましたので日本仏教の母山と仰がれています
龍泉寺と天台宗との関連
龍泉寺の創建者は「伝教大師最澄」と言われているので、天台宗総本山比叡山延暦寺との関係はきわめて強い
庄内川中流域やその周辺の地域(春日井市・守山区・北区の一部)では、遠く平安の昔から天台の教えが栄え、その大きな影響は今日に及んでいます
かってこの地方最大の天台本山であった密蔵院や、尾張四観音の一つである龍泉寺を始めとして多くの天台寺院があったが、現在区内にあるのは龍泉寺と石山寺のみ



・鎌倉時代の僧、無住一円によって書かれた仏教説話集である沙石集によると、龍泉寺は密蔵院の末寺となる以前に、すでに観音信仰の霊場として知られていた
・観音様には人々を病苦や災難から救う力があること、それが来世だけでなくて現世にも働くということが当時の人々に信じられていた
・さらに、尾張龍泉寺は昔龍王が一夜のうちに造立した寺で、馬頭観音がでた池の跡が見えると書かれています


③ 寺宝について
龍泉寺には仁王門や出世地蔵尊像などの歴史的に重要な建造物や文化財を数多くあります。また、延宝4年(1676年)に龍泉寺を訪れ、彫像を遺したとされる円空の仏像も多数所蔵しており、その一部は龍泉寺城内の宝物館にて展示されています

円空一刀彫
馬頭観音像(112センチ)は大きな頭上に馬の化仏をつけ「カッ」と見開いた大きなつり上がった眼
慈悲相ではなく憤怒の形相だが、横に開いた大きな三角鼻と両端のやや上がった大きな口には円空仏特有の微笑をたたえユーモラスがある

千体仏(円空作)
ここに並ぶ千体仏は当寺に残る500体のうちの約200体
小さな木片に目鼻を付けただけの像ながら一体一体がなんとも愛らしく、またその中に爽やかさが感じられる

地蔵菩薩立像(重要文化財)
高さ68センチの彩色像で、右手に錫杖を、左手に宝珠をもつ延命地蔵
④ 境内案内


本堂
明治39年放火により焼失後、焼跡から慶長小判百枚が掘り出された為、それを基金として明治44年現在の本堂が再建されました
本尊は、厄除、開運の馬頭観音をお祀りしており、古くから一般信徒の厚い信仰を集めております

仁王門 重要文化財
三間一戸楼門入母屋造り柿葺き、正面七.四米 側面四.六米建造
年代は、天井裏から発見された板札に慶長12年(1607年)の日付があり、古記録や様式からもこの年次の建造とみられる
昭和3年4月4日に国の重要文化財に指定

多宝塔
大日如来像がお祀りしてありましたが長久手合戦の際焼失
慶長3年から復興され、更に明治年間に大修理、現在に至っており、阿弥陀如来が安置してあります


鐘楼堂
明治40年に再建されたが、鐘は第2次大戦中供出、以後昭和34年「平和の鐘」として近郷の有志の方々によって寄進され、日々、平和の鐘の音を響かせています


その他の境内風景

















風景風景龍泉寺は天台宗の寺院としても、由緒あるものであり、またそれ以前にこの地区の庄内川河口域の水難・厄除を逃れるための観音信仰に支えられた根強い民衆の結集したものです。
高台から庄内川を見下ろす風景は絶景です。一度参拝なされると良いと思います。おすすめの寺院です。


ゆとりーとラインとは

『ゆとりーとライン』はガイドウェイバスの名称です
- 名古屋市北東部に位置する守山区は、縦に細長い地域であり、その最も北にある志段味地区は、竜泉寺街道を軸に北側を庄内川、南側を小幡緑地や森林公園などの丘陵地に囲まれる、大変自然に恵まれた地域です
- しかしその反面、道路交通は、その地形的な制約もあって、都心方面への交通混雑の激しい地区のひとつとなっていました
- 新たに発生する交通需要に対応し、都心方面への道路交通の混雑を緩和するためにも、新たな交通システムを整備することが課題となっていました
- これらの課題に対応できる新しい交通システムとして、世界ではドイツやオーストラリアで実用化されていますが、日本では初めてとなる「ガイドウェイバスシステム」を、導入することになりました


こちらのサイトからご覧ください
https://www.guideway.co.jp/
龍泉寺へのアクセスにこの『ゆとりーとライン』を使用しました
渋滞もなく快適な運航でした、始発から15分程度で到着
あまりにあっけないですが・・・バスがガイドレールに沿って自動で運転










まとめ
尾張四観音の一つである名古屋市守山区にある『龍泉寺』に初詣として訪問しました。その境内の荘厳さ、美しさに感動しました。今年はコロナ禍もあって、参拝客も少なくのんびりできました。高台からの景色はすばらしいです。
もし、1日コースで訪問したいなら、すぐお隣にある【龍泉寺温泉】に足を伸ばして、くつろいで下さい。こちらも評判の『日帰り温泉』です。この温泉は宿泊も可能になっております。

