名古屋北部に点在する六所社、六柱の神を祀っているのか、6つの神社を合祀しているのか定かではない

六所社(下飯田)
  • 名古屋市北部に6つの六所社がある北区の上飯田六所宮、金城六所社、成願寺六所神社、東区の矢田六所神社、西区の比良六所神社、そしてこの北区下飯田六所社がそうだ
  • この六所社以外にも、北区の味鋺神社、大乃伎神社、大井神社、別小江神社は江戸時代には六所明神と呼ばれていた。六所社は六柱の神を祀っているのか、6つの神を合祀したのか定かではない
  • ひとつ確かなことは、名古屋市北部である時期、六所社(六所明神)が流行ったことがあるということだ。名古屋市内では北部エリア(主に庄内川流域)以外に六所社はない
  • 六所明神の正体もよく分からないのだけど、どうして北部エリアだけだったのかが最大の謎であり、謎を解く手がかりでもある

六所社(北区下飯田)

  • 北区を中心に、東区、西区の名古屋市北部に点在する六所社の中のひとつ
  • 祭神は伊弉諾神(いざなぎのかみ)、伊弉冉神(いざなみのかみ)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、月読神(つくよみのかみ)、素戔嗚尊神(すさのおのかみ)、蛭子神(ひるこのかみ)の六柱の神を祀っている
  • 名古屋北部の六所社の祭神、イザナギ・イザナミのファミリー六柱というのは明治以降に六という数字から当てはめたものかというと必ずしもそうではないようで、江戸時代にはすでにその認識があったようだ
  • ある時期、この地域で六所社が流行って、それまで違う神社だったのが六所社に変わった可能性はある
  • 古い式内社とされる味鋺神社別小江神社大乃伎神社なども江戸時代は六所明神と呼ばれていて明治になって戻したという経緯がある
  • 現在六所社を称しているところは戻せなかっただけかもしれない

境内の様子

六所神社(北区成願寺)

  • 昭和5年(1930年)から矢田川の付け替え工事が始まり、それに伴い、成願寺村は村ごと矢田川の南に移ることになった。村の名前の由来となった成願寺や六所神社もこのとき現在地に移されている。六所神社が昭和6年、成願寺が昭和8年のことだ
  • 成願寺は745年に行基が開いたとされる古刹で、鎌倉時代の武将で御家人の山田重忠が中興した他、『信長公記』を書いた太田牛一が育った寺としても知られている
  • 矢田川はもともと今より南を流れていて、福徳町、中切町、成願寺あたりは庄内川と矢田川に挟まれた川中村という村だった
  • たびたび水害に遭うため、矢田川の流れをもっと北に移して庄内川と平行するようにして堤防を築いた
  • 水難の地だから、周囲より一段と高くなった、場所に建てられている

境内の様子

六所宮(北区上飯田)

  • 名古屋北部に点在し、その正体がさっぱり分からない六所社のひとつ。上飯田の六所宮もやっぱりよく分からない
  • 創建は1599年(慶長四年)と『北区の歴史』は書いているのだけど、情報源が定かではなく鵜呑みにできない。江戸時代直前の安土桃山時代末に六所社を建てるという状況が上手く理解できない
  • 六所社から六所宮に改称したのは昭和56年(1981年)のことなので、特別な理由があるわけではなさそうだ。下飯田などの他の六所社と区別するためだろうか
  • 祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、素戔嗚尊尊(すさのおのみこと)、蛭子尊(ひるこのみこと)

境内の様子

六所社・六所宮まとめ

六所社の由来、いわれなどまだまだ、正体がわかっていないことが多いみたいです。でも、ひとつ確かなことは、名古屋市北部である時期、六所社(六所明神)が流行ったことがあるということだ。名古屋市内では北部エリア(主に庄内川流域)以外に六所社はない。これが謎を解く鍵らしい・・・