- 広大な杜に囲まれ癒し見守る和らぎの社「針名神社」の創建は1,100年以上前
- 『延喜式神名帳』に「従三位針名天神」として収録されることから、10世紀初頭以前であると推察
- 元は現在地より約800m北、天白川左岸の元郷に祀られていたが、慶長年間(1612年頃)に徳川家康の命により平針宿が成立したと同時期に現在の社地に遷し祀られた
- 境内地は約1万2000坪を有し、名古屋市内でも有数の規模を有する神社
- 主祭神の尾治針名根連命は、尾張氏の祖先神で尾張国一宮の真清田神社の祭神でもある天火明命の十四世孫にあたるとされ、父の尾綱根命とともに犬山市の針綱神社にも祀られている
- 配神として、大巳貴命(大国主命とも)また、記紀神話の国造りの際に全国を回って国土開拓を協力した神とされる少彦名神を祀っている
天火明命は尾張氏の祖神とされ、「火明」の文字からわかるように太陽光や熱の神格化で太陽神、農業神として信仰されております。『古事記』では邇邇芸命の兄として『日本書紀』では瓊瓊杵尊の子として登場します。天照大神の御孫にあたる邇邇芸命は天孫降臨で天下られました神様でその御子が初代神武天皇になります。よって天火明命の子孫は皇統に続く系譜とされ、大和王権を築いた古代勢力の天孫族とされております。
尾張氏とは天火明命を祖神として、氏を「尾張」姓を「連」とする氏族のことで、太古の昔(古墳時代)にこの地(尾張丘陵)を治めた氏族であります。大和政権とかかわりが深く、孝昭天皇、崇神天皇、継体天皇や日本武尊といった皇族(王族)に妃を輩出し全国の国造家の中でも屈指の勢力を誇ったと氏族と言われております。熱田神宮の創祀の伝承によると現熱田神宮の社地は尾張氏の氏族が斎場としていた場所であったされており、同区内にあります断夫山古墳は一族の墓と推定されております。

ぶらり四季散歩 名古屋・針名神社の境内案内

鳥居(西参道)・手水・神門
鳥居西参道

- 神社にお参りするときは、まず、入り口の鳥居のところで衣服を整え、お辞儀を(お帰りの際も)し、心を引き締めて鳥居をくぐります
- 参道は真ん中ではなく、左側を進みます
手水

- 木立の参道を進んでいくと、左側に手水舎があります
- 参拝をする前には手や口を清め、心身ともに清々しい気持ちでお参りします
神門


- 神門をくぐる前にもう一度お辞儀を(お帰りの際も)します
- 正面に拝殿が見えます


本殿・拝殿
本殿

- 現在の建物は昭和50年1月よりご造営を始め昭和51年11月6日に竣功したもので、唐破風造りの向拝より奥へ順に拝殿、祝詞殿、渡殿、神明流造の本殿の棟が連なる建物群で構成されております
- 平成30年には天皇陛下の御即位30周年記念、神社造営40周年を記念して御屋根替えが行われました
天井絵と四神及び御神鏡



- 平成30年の御屋根替えの折に篤志家のご奉納により京都の宮絵師による247枚(祝詞殿77枚・拝殿170枚)にもおよぶ天井絵を取り付けた
- 四隅には四方の方位を護る四神を配しました
- なじみ深い植物の絵を中心に全体の約1/3を薬草をモチーフとしていて、華やかな雰囲気で目を楽しませ、健康や長寿や様々な願いをさらに強くする
- 御神鏡も新しく調えさせていただきました。こちらも同じく京都の鏡師によるもので、直径が一尺五寸(45㎝)の鋳銅鏡で銅と錫の合金白銅を鋳型に流し込み、丹念に磨き込むことで鏡面仕上げ
- 裏面には当社の神紋である五三桐紋と鳳凰をあしらった意匠
- 御神前を拝するとき台座と一体となったその重厚な姿をご覧ください
天王社と針名天神社

●天王社(てんのうしゃ)
建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
疫病送り・伝染病・流行病にかからない
●針名天神社(はりなてんじんしゃ)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
進学・合格・学問の神
神明社(6柱の神を祀る)と針名稲荷社






針名神社のパワースポット
御縁木(ごえんぼく)

左が檜、右が杉で同じ根から
仲睦まじく育っている
願い結び、縁結びのご利益大
御神木

御神木の杉は名古屋市保存樹の最大として指定、生長にあやかろうと手や頭をくっつける
アクセス
電車でお越しの方へ
地下鉄鶴舞線「平針」駅より徒歩15分。
1番出口を出て南(試験場方面)へ向い「蓮池」交差点の次の角を左折し、ほぼ直進にて神社に到着
市バスでお越しの方
平針11「地下鉄徳重」行(「平針試験場」経由)に乗り3つ目のバス停「平針小学校」降り少し戻る形で坂を下り二本目を右に曲がり東へ進むと神社に到着します
ぶらり四季散歩 名古屋・まとめ
針名神社はあまり有名とは言えませんが、調べてみると意外と由緒ある神社です。境内も広く、掃除も行き届いていました。農業センターの帰りに案内看板に偶然遭遇していってみました。なかなか良い神社だと思います。
