ぶらり四季散歩 名古屋・名古屋城の沿革
- 1610年(慶長15年)、徳川家康は子義直の居城として名古屋城の普請を開始
- 戦災で焼失したが1959年(昭和34年)、金のシャチをいただく五層の大天守閣(約48m)と小天守閣(約24m)が再建
- 全国の武将隊ブームのさきがけとなった「名古屋おもてなし武将隊」が毎日城門でお客様をお出迎土曜日には「おもてなし演武」も行わる10年に及ぶ本丸御殿の復元工事が終了、2018年(平成30年)6月8日から全面公開

名古屋城の外観








- 名古屋城は上記案内図のように、4つのブロックに大別できる
- 西之丸と二之丸、御深井之丸そして本丸・本丸御殿のつである


名古屋城とは

- 築城を命じられたのは、加藤清正、福島正則など、豊臣家に従ってきた西国大名20家、これがいわゆる天下普請(てんかぶしん)
-
徳川の威信をかけて築かれた名古屋城は、金鯱を頂く巨大な天守、絢爛豪華な本丸御殿、広大な二之丸庭園、高い石垣と深い堀、堅固で巧妙な縄張などを備え、近世城郭の完成形
-
名古屋城は、江戸260年を通じて御三家筆頭・尾張徳川家の居城として栄えます
-
築城にあわせて清須から町ぐるみの引越し「清須越」が行われ、現在の名古屋の街の原型となる、碁盤割(ごばんわり)の城下町が形成された
-
名古屋城は往時の姿をよく伝える国内屈指の城郭として、国の特別史跡に指定
天守閣

- 1612年(慶長17)に完成。1945年(昭和20)、空襲で焼失、戦後鉄骨鉄筋コンクリート造の建造物として再建
- 現在は、設備の老朽化や耐震性の確保などの問題に対応するために閉館
- 木造での再建計画中、エレベーターの設置について賛否両論

本丸御殿














- 1615年(慶長20)、尾張藩主の住居かつ藩の政庁として建てられた、日本を代表する書院造の建物
- 近世城郭御殿の最高傑作といわれ、城郭では天守閣とともに国宝第一号に指定
- 1945年(昭和20)の空襲により惜しくも焼失しましたが、江戸時代の図面など貴重な史料をもとに正確に復元工事を進め、2018年(平成30)、絢爛豪華な往時の姿が蘇った
名勝 二之丸庭園






- 歴代藩主が公私にわたって過ごした二之丸御殿の北側に設けられ、藩主が居住した御殿の庭園としては日本一の規模を誇ります
- 明治期に御殿とともに庭園も一部を除いて取り払われましたが、江戸時代後期の大規模な大名庭園として非常に価値ある遺構が残されていることがわかり、2018年(平成30)、庭園のほぼ全域が名勝として指定されました


重要文化財 西南隅櫓

- 本丸の西南隅に位置し、1612年(慶長17)頃に建てられました。
- 外から見ると屋根は二層ですが、内部は三階の櫓となり、珍しい形式
- 二階西面と南面には、敵を攻撃するための石落しを張り出して屋根を付けた
重要文化財 東南隅櫓

- 本丸の東南隅に位置し、1612年(慶長17)頃に建てられました。西南隅櫓(すみやぐら)と同じ構造
- 三階東側の屋根の軒には弓なりになった軒唐破風(のきからはふ)という格式の高い装飾が施されている
重要文化財 西北隅櫓

御深井丸の北西隅に位置し、1619年(元和5)頃に建てられました。外観三重、内部も三階の構造で、江戸時代から現存する三階櫓の中では、全国で2番目の大きさを誇る
名古屋城その他建造物
門構え



-
本丸へ至る正門は、1910年(明治43)に旧江戸城内の蓮池御門が移築されたが、戦災で焼失したため、1959年(昭和34)、天守閣とともに再建
- 表二之門は1612年(慶長17)頃に完成。本丸の南側にある門で、門柱や扉に使われている木材は太く、鉄板を打ち付けて堅固に造られてます
- 東二之門は1612年(慶長17)頃に完成。主柱と左右の控柱にも屋根をのせた高麗門(こうらいもん)形式で、門柱や扉などに帯状の鉄が打ち付けられてます
写真スポット







アクセス
- 地下鉄:名城線 「市役所」 下車 7番出口より徒歩 5分
- [市バス]
- 栄13号系統(栄~安井町西) 「名古屋城正門前」下車すぐ
- なごや観光ルートバス「メーグル」
「名古屋城」 下車すぐ
「名古屋城東・市役所」 下車 徒歩6分
ぶらり四季散歩 名古屋・まとめ
名古屋城はなんといっても、名古屋のシンボルです。名古屋観光の第一に挙げられます。本丸御殿は完全に修復されましたが、天守閣は北増の本格建築で建て替えられる予定です。まだまだ、ご紹介は十分でありません。名古屋城の魅力は沢山あります。ぜひ、一度訪ねてみては、いかがですか


