庄内川東岸の沖積平野に位置し、江戸時代から村を形成していた「稲葉地村」
ここには、織田信長ゆかりの史跡が多数あります
信長が幼少期に手習いをした凌雲寺は、作庭家・齋藤忠一氏が手がけた庭園も見どころ
庫裏と書院は、法隆寺宮大工の棟梁・西岡常一氏の唯一の内弟子である、小川三夫氏によって新築された

凌雲寺の歴史




- 凌雲寺(りょううんじ)は、名古屋市中村区稲葉地本通にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は集慶山
- 庄内川の堤防下で織田信長ゆかりの地で史跡が多数あります
- 『尾張志』によると、永正年間(1504年〜1521年)に稲葉地城主・織田信光(織田信長の伯父に当たる人物)が創建した
- 信長が幼少のころ、この寺で手習いをしたと伝えられている。手習いで真っ黒になった草紙を枝に掛けて付近の子供達と遊んだという草掛けの松が残っている
- 墓地の宝篋印塔には「前豊州大守泰翁玄凌禅定門(たいしゅたいおうげんりょうぜんじょうもん)天文5年(1536年)丙申十月廿八日」とあり、信光のものとされる
凌雲寺の庭園









庄内川のすぐそばにある凌雲寺は臨済宗妙心寺派の禅寺。現在の建築こそ近代~現代に再建された新しいものですが、方丈(本堂)前の高いマツは幼少期の信長が近所の子供たちと遊んだ“信長草紙掛の松”で、脇には石碑も
方丈の前に広がる“放生池”の歴史は古く、1535年(天文4年)の庄内川の大洪水をきっかけに出来たもの。その放生池が“庭園”へと生まれ変わったのは1981年(昭和56年)、重森三玲の弟子であり日本の各地に庭園を残されている作庭家・齋藤忠一の手によるもの
凌雲寺の方丈



庫裏と書院は、法隆寺宮大工の棟梁・西岡常一氏の唯一の内弟子である、小川三夫氏によって新築されたといいます
参考記事
おにわさん 文化財クラスの日本庭園も守られず次々に解体される現代社会。
《おにわさん》は日本全国の魅力的な庭園の存在を伝え、
【地元にこんな庭園があるなんて知らなかった】の声を減らし、
庭園が地域に愛され次世代へ継がれることを目指すためのウェブサイトです。


稲葉城址と城屋敷神明社
凌雲寺の近くには神明社があり、織田信光の築城と伝えられる稲葉地城址の石碑が建っています









アクセス
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凌雲寺まとめ
織田信長ゆかりの「凌雲寺」歴史的にも価値のあるものです。幼少の信長が手習いや、お遊びをしていた場所です。特に庭園の評価は高く徳川園・白鳥庭園と並び「名古屋三大庭園」の一つともいわれてます。本当にチリ一つ落ちていない。きれいな庭園です。

