宝勝寺(ほうしょうじ)は名古屋市守山区市場にある曹洞宗の寺院であり、山号を玉峯山と称する
創建は1637年(寛永14年)に大永寺七世大渓良澤和尚が、名古屋市守山区にある「守山城跡」に松平清康の菩提を弔うために建立し、その縁により、大永寺の末寺となっている

守山城と守山崩れ

東西58m、南北51mの一重堀の城で築城年、築城者とも不詳だが、那古野城が築かれたころ、築城された。大永6年(1526)宗長が訪れ、連歌を催している。その時の発句は「花にけふ、風を関守山路哉」。この宗長の手記が「守山」や「守山城」の最初の記録である天文4年(1535)尾張攻略で守山城に布陣した松平清康が家臣に殺された「守山崩れ」の舞台である。その後、織田信秀に属し、桶狭間の戦い以降は廃城になったという











守山崩れ(もりやまくずれ)とは、天文4年12月5日(1535年12月29日)早朝に、三河国岡崎城主・松平清康が、尾張国春日井郡森山(現・愛知県名古屋市守山区)の陣中において、家臣の阿部正豊に暗殺された事件をいう。「森山崩れ」と書かれることもある。『信長公記』では守山、『三河物語』では森山と記載されている。


宝勝寺と蓬莱七福神

1929年(昭和4)、当時の瀬戸電気鉄道(現名古屋鉄道瀬戸線)は沿線開発のため龍泉寺街道の西に沿って、生玉-長命寺-松河戸-御野立所駅(仮称)を経て龍泉寺に至る全長約3km程の支線、龍泉寺鉄道を計画した
しかしこの鉄道計画は頓挫したが、その後も沿線周辺の各種の開発は続けられ、文化住宅の開発、白沢遊園地の開園、守山区を中心とし一部隣接の春日井市、尾張旭市にわたる蓬莱七福神が龍泉寺と宝勝寺の当時の住職らにより組織され、また同時に尾張三大弘法も組織された
宝勝寺には七福神の毘沙門尊天が祀られたが、戦前の賑わいは今はなく現在これらの寺院巡りは活動休止状態にある










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蓬莱七福神の寺
毘沙門天:宝勝寺(守山区市場)
福禄寿 :法輪寺(守山区大森)
寿老人 :長命寺(守山区白沢町)
大黒天 :長慶寺(守山区小幡中)
布袋尊 :東寺別院(廃寺)守山区小幡字北山(現在は利海寺/守山区西城)
弁才天 :観音寺(愛知県春日井市松河戸町)
恵比寿 :良福寺(愛知県尾張旭市印場元町)
別格宝船:龍泉寺(守山区竜泉寺)
※法輪寺・龍泉寺は各々「陶寶(宝)七福神」も兼ね、
吉根観音寺には陶寶(宝)七福神の布袋尊が祀られている

アクセス
守山城址に建つ「宝勝寺」その歴史も多数あり、『守山崩れ』など悲劇や怨念に包まれた寺院です。
また、隣接した長母寺と矢田川の氾濫により分断されるなど災害にもあってます。
それでも、現在は立派に力強く、生き残ってます。自然のたくましさを実感してます。

