笠置シヅ子引き際の美学”最も輝いた時代をそのままに残したい”なぜ歌手を止めたか!      

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引き際の美学 トピック

笠置シヅ子が1956年の紅白歌合戦後に歌手引退したのはなぜか。「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」いかにも自分に厳しい笠置らしい理由だ。

歌謡界では昭和20年代後半にブギが下火になり、世界的ブームとなったマンボが日本でも大流行すると、いろんな歌手がマンボの曲を歌った。笠置も1955年に「ジャンケン・マンボ」「エッサッサ・マンボ」(ともに服部良一作曲)を吹き込んでいる。だが、ブギの女王・笠置のマンボは注目されなかった

ブギが下火になり「三人娘」のマンボがヒット、美空ひばりの「お祭りマンボ」(1952年)や江利チエミの「パパはマンボがお好き」(1955年)、雪村いづみの「マンボ・イタリアーノ」(1955年)だった。時代はすでに三人娘の全盛期となる。

1956年春、「ジャジャンボ」「たよりにしてまっせ」の2曲を吹き込み、これが笠置の最後のレコードとなった。12月31日、第7回NHK紅白歌合戦に出場して大トリを務め、「ヘイヘイブギー」を歌う。そしてこれが“ブギの女王の花道”を飾るものとなった。この年のいつの時期かは不明だが、笠置は歌手を辞める決意をしたのではないかと思われる。

引退の理由は「太ってきて踊れなくなったから」42歳でマイクを置く。「自分が最も輝いた時代をそのままに残したい。それを自分の手で汚すことはできない」

1957年大晦日おおみそかの第8回NHK紅白歌合戦では、前年の大トリだった笠置に代わって、出場2回目で20歳の美空ひばりが女性陣のトリを務めたのは象徴的だ。

笠置シヅ子引き際の美学なんて素晴らしい!

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