尾張四観音の一つ 龍泉寺の歴史
- 「松洞山大行院」と号する。また「竜泉寺」とも表記される。名古屋城を鎮護する尾張四観音のひとつ。尾張三十三観音霊場の第二十五番札所である。本尊は馬頭観音
- 庄内川と濃尾平野を望む守山にあり、天台宗に属するお寺で、その歴史は古く延暦年間にまでさかのぼり、伝教大師最澄が創建したと伝承
- 宝暦5年(1755)に記された古文書「龍泉寺記」には、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った」と記されている。ここから「龍泉」の名がついた
- 天正12年(1584)、龍泉寺は豊臣秀吉が小牧長久手の役にて退却するとき、池田勝入の部下により放火焼失
- 慶長3年(1598)、秀純大和尚が堂塔を再興。明治39年(1906)に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除くすべてが灰燼と帰した。しかしその焼跡から、慶長小判が100枚発見され、これと寄付をあわせて現在の本堂が再建された
龍泉寺あれこれ
仁王門
焼失を免れた楼門(国重要文化財・11.7×8.8m)には仁王様が左右に祀られている事から仁王門ともよばれている(仁王様の由来は不明)
龍泉寺本堂
多宝塔
宝物館(模擬天守)
模擬天守は宝物殿
鐘撞堂
こころを篭めてつくと願いがかなう。ここからの景色も最高!
浅野祥雲作 立像二体
写真左、1941年(昭和16)6月建立の「水野房次郎氏寿像」右1962年(昭和37)10月建立の「篠田銀次郎之寿像」、両氏は共に名古屋市の畜産業界に貢献された方で、のち組合の方々によってここに建立
同二体のコンクリート像は銘が無いものの「五色園の塑像作者」浅野祥雲の作
龍泉寺境内風景
ゆとりーとライン
ゆとりーとライン(英: Yutorito Line)は、名古屋ガイドウェイバスのガイドウェイバス(ガイドウェイバス志段味線)と名古屋市交通局の路線バス(名古屋市営バス)の直通運行によって一体として提供される旅客輸送サービス。営業区域は愛知県名古屋市、春日井市および尾張旭市
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龍泉寺展望台からの景色
龍泉寺は元々龍泉寺城址に建っているので、高台で見晴らしがよい
龍泉寺アクセス地図
営業期間公開:境内自由
公開:9:00~15:30 宝物館(日曜・祝日のみ)
所在地〒463-0004 愛知県名古屋市守山区竜泉寺1-902
052-794-3647交通アクセスJR・名鉄・地下鉄大曽根駅よりガイドウェイバス(約13分)「竜泉寺口」・「竜泉寺」より徒歩3分
尾張四観音の一つ 龍泉寺・まとめ
龍泉寺は尾張四観音の中でも、私にとっては一番縁が深い。なにせ、すぐ「天空の湯」でおなじみの「竜泉寺の湯」があるので、月に2~3回は来ている。もっとも、お湯は大好きだが、「龍泉寺」に足を運ぶのは年に2~3回。それでも一番気になる寺院。車じゃなくて、「ゆとりーとライン」を使って参拝し、あとはお風呂。これがおすすめ!
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