毎年3月15日に執り行われる天下の珍祭・豊年祭。この祭は木曽ヒノキで作った直径60センチ、長さ2メートル余りの大男茎形(男性のシンボル)を御輿に載せて厄男たちが御旅所から田縣神社まで担ぎ、五穀豊穣、万物育成、子孫繁栄を祈願する祭り。
変わった祭りを見ようと海外からの観光客も多く、「野も山も みなほほえむや 田縣祭」の詩歌の如く、国境を越えてみな微笑む祭り
田縣神社の御祭神・由緒
右側:建稲種命の御神像を納めた御前御輿
大男茎形の御輿
田縣神社の御祭神
田縣神社におまつりされております神様は御年神様と玉姫命様の二柱
地元では古来より稲の実りを司る神様として大切にされてきた。そこから万物の育成、子宝安産の神様として、いまでは全国より崇敬を集める神社となっている
御歳神と玉姫命
- 御歳神(ミトシノカミ)は素戔嗚尊(スサノオノミコオ)の孫で、大歳神(オオトシノカミ)の子。農業をつかさどる神様で五穀豊穣の守護神
- 玉姫命(タマヒメノミコト)は尾張地方開拓の祖神である大荒田命(オオアラタノミコト)の王女。尾張氏の健稲種命(タケイナダネノミコト)の妃
- 二男四女の子宝に恵まれたが、夫亡き後は故郷荒田の里(現鎮座地)に帰り、父を助け開拓に励み、子女教育に勉められ、その功績を称え、後に合祀
田縣神社の由緒
- 世に名高い小牧長久手の合戦に、豊臣秀吉が陣取ったといわれる久保山
その麓に続く俗称「縣の森」に鎮座 - 御創建年はさだかではありませんが一説によると遠く弥生時代
- 醍醐天皇の延長五年(927)に編纂された『延喜式』には田縣神社と記載され、また貞治三年(1364)の『尾張国内神名牒』にも、従三位上田方天神とあって、古くから格式の高い神社
田縣神社の豊年祭の手順
田縣神社の祭神である玉姫命(たまひめのみこと)に夫神の建稲種命(たけいなだねのみこと)をお迎えする形式の祭りで、御旅所となる近隣の神明社、または熊野神社から一年毎に交互で行列を出す。地元では建稲種命が玉姫命を娶りにやって来る祭りであると伝承されている
田縣神社豊年祭 御輿行列
「鳳輦(ほうれん)」「御歳神」の御神像を御輿に納めて引く
「御前御輿(ごぜんみこし)」祭神玉姫命の背君である「建稲種尊」の御神像を御輿に納めて担ぐ
「陽物御輿(ようぶつみこし)」お供え物の『大男茎形』を御輿に納め担ぐ
- 豊年祭では田縣神社にほど近い二つの神社(神明社と熊野社)のうちいずれかを御旅所と定め御輿行列が
- この御輿には「鳳輦(ほうれん)」「御前御輿(ごぜんみこし)」「陽物御輿(ようぶつみこし)」の3種類がある
- 鳳輦とは、当社の祭神「御歳神」の御神像を御輿に納めて引く
- 御前御輿は、祭神玉姫命の背君である「建稲種尊」の御神像を御輿に納めて担ぐ
- 陽物御輿は、お供え物の『大男茎形』を御輿に納め担ぐ
田縣神社豊年祭 実際の様子 (2023/3/15撮影)
田縣神社豊年祭 CBCニュース
田縣神社豊年祭 アクセス地図
田縣神社豊年祭 周辺風景
田縣神社豊年祭 まとめ
田縣神社豊年祭はスケールも大きく、とにかく御輿がすごい。本物の御輿を見たらびっくり。行列が始まる前は「御旅所」である、熊野神社の境内に安置されてあった。近くで触ることもできたので、触ってみた、新しい木の感触そのもの。毎年新しく作るので大変らしい。古くなったものはどうするか聞いてみたら、なに、買って持って帰る人がいるから大丈夫とのことだった。『買う人もいるのだ』びっくりしたり、感心したり。天下の奇祭一度は見るべき価値はある!
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