創建は1650年(慶安3年)、諸説あり。1637年(寛永14年)に大永寺七世大渓良澤和尚が、松平清康の菩提を弔うために建立。その縁により、大永寺の末寺となっている
現在も葵の紋のついた厨子に入った清康の位牌が安置されている。清康の墓石は、土居址にあったが、今は疎林の中の池畔に移された
宝勝寺周辺の風景
矢田川氾濫により長母寺と分断された場所付近
宝勝寺から対岸の長母寺方向を見る
守山城址について
- 東西58m、南北51mの一重堀の城で築城年、築城者とも不詳だが、那古野城が築かれたころ、築城
- 大永6年(1526)宗長が訪れ、連歌を催している。その時の発句は「花にけふ、風を関守山路哉」。この宗長の手記が「守山」や「守山城」の最初の記録である
- 天文4年(1535)尾張攻略で守山城に布陣した松平清康が家臣に殺された「守山崩れ」の舞台
- その後、織田信秀に属し、桶狭間の戦い以降は廃城
宝勝寺境内風景
入母屋造の瓦平入の本堂
薬医門の山門「宝勝寺」の寺号
毘沙門天堂に「毘沙門天の額」、蓬莱七福神の札所本尊を祀る
城跡と寺社めぐり
戦国時代にこの地には小幡城、守山城などいくつかの城が築城された。特に小幡城は小牧・長久手の戦いでその名を歴史にとどめているように、この地が戦乱の地であったことをうかがわせます。「守山崩れ」のいわれのある宝勝寺・守山城跡を出発。瀬戸街道沿いから、すいどうみち緑道へと進みます。守山の中心街と神社、寺、古墳などをめぐる変化に富んだコース (出典:名古屋市守山区史跡散策路から)
宝勝寺アクセス地図
名称: | 寶勝寺 |
フリガナ: | ホウショウジ |
住所: | 〒463-0075 愛知県名古屋市守山区市場4-45 |
TEL: | 052-791-2044 |
宝勝寺・まとめ
宝勝寺は寺社という観点だけでなく矢田川氾濫、守山崩れなどいろいろの観点から注目されている寺院。戦国時代から注目をあびている地域であり、宝勝寺単独の見学でなく、周辺の史跡を同時に散策されると感慨が深いかも・・・
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