庄内川東岸の沖積平野に位置し、江戸時代から村を形成していた「稲葉地村」。ここには、織田信長ゆかりの史跡が多数ある。信長が幼少期に手習いをした凌雲寺は、作庭家・齋藤忠一氏が手がけた庭園も見どころ。庫裏と書院は、法隆寺宮大工の棟梁・西岡常一氏の唯一の内弟子である、小川三夫氏によって新築された
凌雲寺山門
南側に面した道路から、かなり急な石段が続き、山門まではおごそか
凌雲寺本堂前の見事な庭園
境内に足を踏み入れたとき、見事な禅寺の風格を備えた庭園が眼前に広がる。放生池を中心に、スケールの大きい岩組み、松樹豊かな中之島等市内でも屈指の名園
方丈の前に広がる“放生池”の歴史は古く、1535年(天文4年)の庄内川の大洪水をきっかけに出来たもの。その放生池が“庭園”へと生まれ変わったのは1981年(昭和56年)重森三玲の弟子であり日本の各地に庭園を残されている作庭家・齋藤忠一の手によるもの
凌雲寺本堂・庫裏・鐘撞台
凌雲寺信長草紙掛けの松と石碑
信長が幼少のころ、この寺で手習いをしたと伝えられている。手習いで真っ黒になった草紙を枝に掛けて付近の子供達と遊んだという草掛けの松と石碑が残っている
凌雲寺境内風景
稲葉地城址(城屋敷神明社)
稲葉地城は織田信長の叔父にあたる津田豊後守信光(織田孫三郎信光)によって築かれた城です。信光が坂井孫八郎により殺害されたあとは次男の織田信昌(玄蕃允)が城主となる。その後、信昌の子の宗政(與三郎)が「桶狭間の戦い」で討死し、さらに1574年(天正2年)には長島一向一揆との戦いで信昌も討死。そして「本能寺の変」で信昌の四男である織田小藤次が二条御所で討死するとそのまま廃城になった。現在城址は住宅地となっており遺構はないが、神明社の鳥居脇に城址碑が建てられている
凌雲寺アクセス地図
〒453-0057 愛知県名古屋市中村区稲葉地本通3丁目18 名古屋市営地下鉄 東山線 中村公園駅より徒歩20分
中村公園駅・名古屋駅・栄から路線バス「稲葉地町」バス停下車 徒歩3分
凌雲寺・まとめ
凌雲寺庭園すばらしいですね。この庭園の他に本堂の裏側に回遊式の庭園があるみたいですが、現在未公開。この本堂前の庭園のみが公開されている。織田信長ゆかりのこの土地に一度はお訪ね下さい
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