古代日本の伝説的な陰陽師、安倍晴明。彼の名は時を越えて我々に語り継がれています。しかし、安倍晴明が名古屋に住んでいたという話は、あまり知られていません。この記事では、その謎に迫ります。名古屋や上野天満宮に隠された歴史的事実と伝説の世界を探索し、晴明の足跡をたどります。古代の知恵と現代の謎解きが交差する旅に、あなたも一緒に出かけましょう。
安倍晴明の伝説とその背景
安倍晴明、日本の歴史における最も有名な陰陽師。平安時代に活躍し、今もなお多くの人々に影響を与え続けている彼の伝説は、神秘的な魅力に満ちています。この記事では、晴明の伝説がどのようにして生まれ、彼の神秘的な力がどのようにして語り継がれてきたのかを探ります。また、晴明が名古屋に住んでいたかどうかという謎も、この物語の中で解き明かしていきます。晴明の伝説は、ただの物語ではなく、彼の生きた時代の文化や信仰を反映しています。
安倍晴明伝説
安倍晴明は平安時代に実在した陰陽師です。 陰陽道は安倍氏と賀茂氏によって継承されていましたが、やがて安倍家の先祖のうち、晴明の事績がクローズアップされ、いろいろな説話となり、陰陽師のシンボル的な存在となりました。
陰陽師とは
陰陽師とは、日本古来律令制の下で中務省(なかつかさしょう)の陰陽寮(おんみょうりょう)に属した官職の一つ。陰陽五行思想に基づいた陰陽道を駆使し、神意を占い人間が口に出して予言する占いの一種、占筮(せんぜい)及び地相などを担当する方技として配置された者のことです。
安倍晴明の能力
幼いころから怨霊が見えたり、災いを未然に防ぐ能力を持った安倍晴明は、最強の陰陽師として世間に知られるようになります。 晴明が様々な怪事件を解決していく姿が、美しい図柄で描かれます。 晴明は特殊能力を持つが故、周囲から恐れられたり、疎まれたりするため、滅多に人に心を開かない謎めいた存在。
陰陽師の思想
陰陽師の思想の根底にある「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」というのは元来中国のもの。全ての事象は陰と陽に分けられるという陰陽説、そして全てのものは「木・火・土・金・水」の5つの元素から成り立つと考えられている五行思想の組み合わせによるものだと言われています。
陰陽の思想と五行の思想が融合した陰陽五行思想は、木・火・土・金・水の五行にそれぞれ陰陽を二つずつ配し、甲(きのえ)・乙(きのと)・丙(ひのえ)・丁(ひのと)・戊(つちのえ)・己(つちのと)・庚(かのえ)・辛(かのと)・壬(みずのえ)・癸(みずのと)と呼ばれるものに。
陰陽は、陽であれば「え」。陰であれば「と」と語尾につけます。
名古屋における晴明の伝説
名古屋には、安倍晴明が一時期住んでいたという伝説が残っています。この伝説はどのようにして生まれたのでしょうか? 名古屋の地が持つ歴史的背景と、晴明の足跡を結びつけることで、この謎に迫ります。地元の伝承や史料をもとに、晴明が名古屋にいた可能性を探ります。
名古屋晴明神社
- 名古屋晴明神社(なごやせいめいじんじゃ)は愛知県名古屋市千種区清明山1-6にある、陰陽師安倍晴明を祀る神社。
- 987年安倍晴明(安倍晴明では無くその一族という説もあり)が2〜3年の間、尾張国狩津荘上野邑(現在の名古屋市千種区上野辺り)に住んでいました。
- 当時、蝮蛇(まむしヘビ)が多く民が困っていたところ、安倍晴明が蝮封じの祈祷を行ない封じた伝説があります。
- 江戸時代中期ごろ、また蝮蛇の被害が出るようになったため、安倍晴明の住居跡地に安倍晴明の神霊を勧請したのが晴明神社の始まりで、その後は蝮蛇がいなくなったと言われます。
上野天満宮
- およそ千年前の平安時代中期に陰陽師・安倍晴明の一族がこの地に住んだ折、菅原道真公を慕ってその御神霊をお祭りされたのが上野天満宮の起源と伝えられています。
- 上野天満宮にお奉りされる菅原道真公が、九州の太宰府にて亡くなられて平成14年には1100年が過ぎました。こころざし半ばにして無実の罪を背負い京都から追いやられた天才学者の無念を償うため、菅原道真公の墓所の上に太宰府天満宮が作られました。
- その後、100年弱した頃、同様に京都を追われた花山天皇に仕えていた陰陽学者の安倍晴明(920~1005)一族の一部が、名古屋の名古屋市千種区清明山に移り住みました。
- 自らの境遇と照らして菅原道真公の心情を儚く思い、上野天満宮(現在地には、矢田川の氾濫から江戸時代に移動)を建て、菅原道真公を手厚く奉りました。
- そしてその思いがかない、安倍一族は一部を当地に残して無事に京都に戻ることが出来たそうです。
安倍晴明の足跡をたどる
名古屋には、安倍晴明が残したとされるさまざまな痕跡があります。これらの痕跡を通じて、彼が実際にこの地にいた可能性を探ります。地域の史跡や伝承、晴明に関連する地名などを通じて、彼の存在感を感じ取ります。
愛知県にまつわるゆかりの地は6
- 新城市阿寺七滝のある阿寺集落には晴明屋敷跡、晴明井、晴明塚
- 上野天満宮には晴明殿
- 名古屋晴明神社には蝮・蛇伝説
- 岡崎市本町通り晴明神社には晴明井
- 岡崎市唐沢町晴明神社には晴明屋敷跡
- 海部郡蟹江町には晴明塚
名古屋市内には、安倍晴明の存在を感じさせる場所が多数あります。例えば、晴明が儀式を行ったとされる古い神社や、彼にまつわる逸話が残る史跡などです。これらの場所を訪れることで、晴明がこの地に残した痕跡を肌で感じることができます。
まとめ:安倍晴明と名古屋の関連性
- 本記事は、日本の伝説的な陰陽師、安倍晴明と名古屋市との深い関係に焦点を当てています。名古屋には晴明が一時期住んでいたという伝説があり、地元の神社や寺院には彼に関する様々な物語が伝わっています。歴史的な史料や地域の伝承を通じて、晴明が名古屋に実際に滞在していた可能性について探りました。特に、名古屋市内の古い神社や寺院に残る記録や、晴明を題材にした古典文学作品の中に見られる記述などが、彼の名古屋滞在の証拠として紹介されています。
- さらに、上野天満宮との関連性も探求しました。この神社は晴明の霊力を尊ぶ場所として知られ、彼が創建に関わったという伝説も残されています。神社には、晴明に関連する彫刻や絵画が展示されており、彼の伝説がいかに地域の文化や信仰に組み込まれているかを示しています。
- 名古屋市内の晴明に関連する地名や史跡を訪れることで、晴明の足跡を感じ取ることができます。上野天満宮に刻まれた晴明の物語や、彼に関連する年中行事や祭りが、彼の存在が今なお地域に生き続けている証拠です。
- 最後に、現代における晴明の影響についても考察しました。晴明の伝説は、現代の文化や信仰に大きな影響を及ぼしており、名古屋や上野天満宮を訪れる人々にとって特別な意味を持ち続けています。晴明の遺産が現代にどのように受け継がれているかを探ることで、彼の伝説の大きさと影響の深さを再確認することができます。
- この記事は、歴史的記録と地域の伝承を組み合わせることで、晴明と名古屋の関連性を深く掘り下げています。読者は、伝説と歴史が交錯するこの物語を通じて、晴明という人物が現代にもたらす魅力と影響を新たに理解することができるでしょう。
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