玉木雄一郎といえば、国民民主党の代表であり、衆議院議員(香川2区・5期)として活躍している政治家です。しかし、彼の昔の姿はあまり知られていません。実は、玉木雄一郎は農家の長男として生まれ育ち、大蔵省(現財務省)や外務省などで官僚として働いた後に政治家に転身したという経歴を持っています。この記事では、玉木雄一郎の昔の姿や経歴について紹介します。
玉木雄一郎の幼少時代~高校時代
ピッチャーだったがあまりにノーコンで、センターにコンバートされたという逸話もあります。夏休みに船でグアムに行き、他県の子どもたちと触れ合い、初めて外国の文化に接する機会を得ました。これが国際的な視野を持つ最初のきっかけになったと思われます。
高校時代
高校時代は、郡部の町から県都高松市にある県立高松高校に通うことに玉木雄一郎は1969年5月1日、香川県大川郡寒川町(現さぬき市)に生まれました。父母は農業を営んでおり、玉木も田植えや麦蒔きなどの農作業を手伝っていました。農作業からは協力や共生の重要性を学んだと言います。3人兄弟の長男として誕生した玉木は、寒川町立神前小学校(現さぬき市立神前小学校)、寒川町立天王中学校(現さぬき市立天王中学校)、香川県立高松高等学校を卒業しました。
小・中学校時代
小学校時代は、水泳やサッカーなど様々なスポーツに取り組みました。サッカーには特に夢中になり、ブラジル留学を考えたほどだったそうです。また、「少年ジャンプ」が好きで、毎週近くの雑貨店に買いに行っていたというエピソードもあります。卒業文集には「国連事務総長」になると書いてあったそうです。
中学校時代は、野球部に所属し、3年時にはキャプテンを務めましたなり、これまで見たこともない高いビルや、きらびやかな商店街に度肝を抜かれました。高徳線に乗って片道1時間以上かけて通学しました。文化祭委員長を務めたり、軽音楽部でバンド活動をしたりと、多彩な活動を展開しました。ギターやピアノはその頃独学で覚えたそうです。体育の時間に、立ち幅跳びでかなりの記録を出し、体育の先生に陸上部入りを進められましたが、陸上は大学に行ったらやるからと言って断ったというエピソードもあります。
玉木雄一郎の大学時代~官僚時代
玉木雄一郎は、一浪して東京大学法学部に入学しました。大学時代は、十種競技に挑戦し、全日本インカレで優勝するなどの活躍を見せました。また、国際政治や経済に関心を持ち、国連事務総長になる夢を追い続けました。
- 1993年(平成5年)に東京大学法学部を卒業した玉木は、大蔵省(現財務省)に入省しました。主計局総務課に配属された玉木は、1995年(平成7年)にアメリカ合衆国のハーバード大学ケネディ・スクールに留学しました。1997年(平成9年)に同校より修士(公共政策)の学位を取得しました。
- 帰国後は、外務省や金融庁などへの出向を経て、2002年(平成14年)から内閣府へ出向しました。第1次小泉内閣にて、行政改革担当大臣の石原伸晃の下で秘書専門官に就任しました。以降、累計3代の同大臣の秘書専門官を務めました。この間、金子一義大臣から「政治家にならないか」と誘われましたが、自民党では地元の香川2区から出馬できないという理由で断りました。
- 2005年(平成17年)、財務省主計局主査を最後に財務省を退官しました。玉木は、自民党内の派閥争いではなく、政党同士の争いで政権交代を実現すべきと考えていました。そこで、野党であった民主党から政治家への転身を決意しました。
玉木雄一郎の政治家としての活動
玉木雄一郎は、2005年(平成17年)9月の第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)に民主党公認で香川2区から初出馬しましたが、小泉旋風によって自民党前職の木村義雄に大敗して落選しました。
- 2009年(平成21年)8月の第45回衆議院議員総選。選挙に民主党が圧勝し、政権交代が実現した中で、玉木雄一郎は自民党前職の木村義雄を破り、初当選を果たしました。玉木は、民主党の政権担当者として、内閣府副大臣や内閣官房副長官補などを歴任しました。また、東日本大震災の復興支援や、消費税増税に伴う社会保障改革などの重要な政策に関わりました。
- 2012年(平成24年)12月の第46回衆議院議員総選挙では、民主党が大敗し、自民党が政権に復帰しました。玉木雄一郎は再選を果たしましたが、民主党は野党に転落しました。玉木は、野党として政府に対するチェック機能を果たすとともに、自らの政策提言を行いました。例えば、消費税増税の見直しや、原発ゼロへの移行などです。
- 2014年(平成26年)12月の第47回衆議院議員総選挙では、自民党が再び圧勝しました。玉木雄一郎は3選を果たしましたが、民主党はさらに衰退しました。玉木は、民主党の再生に向けて奮闘しました。2016年(平成28年)9月に行われた民主党代表選挙では、玉木は立候補しましたが、前代表の岡田克也に敗れました。
- 2017年(平成29年)5月には、民主党と維新の党が合流して希望の党が発足しました。玉木雄一郎は希望の党に参加しました。同年10月の第48回衆議院議員総選挙では、希望の党は惨敗しました。玉木雄一郎は4選を果たしましたが、希望の党は分裂しました。
- 2018年(平成30年)5月には、希望の党から離脱した議員らが結成した国民民主党に参加しました。玉木雄一郎は国民民主党の副代表に就任しました。同年9月に行われた国民民主党代表選挙では、玉木は立候補しましたが、前代表の玉城デニーに敗れました。
- 2019年(令和元年)10月の第49回衆議院議員総選挙では、国民民主党は苦戦しました。玉木雄一郎は5選を果たしましたが、国民民主党は分裂する危機に陥りました。
- 2020年(令和2年)9月には、国民民主党と立憲民主党が合流して新たな立憲民主党が発足しました。玉木雄一郎は新立憲民主党に参加せず、国民民主党を存続させることを決めました。同年10月に行われた国民民主党代表選挙では、玉木は無投票で代表に選出されました。
- 2021年(令和3年)4月には、国民民主党と社会民主党が合流して新たな国民民主党が発足しました。玉木雄一郎は新国民民主党の代表に就任しました。同年9月に行われた第50回衆議院議員総選挙では、新国民民主党は若干の議席増を果たしました。玉木雄一郎は6選を果たしました。
- 2023年(令和5年)現在、玉木雄一郎は国民民主党の代表として、政権交代を目指して活動しています。彼の昔の姿からは想像できないほどの政治家に成長した玉木雄一郎ですが、彼の原点は農家の長男であり、国連事務総長を夢見た少年であることを忘れていません。彼は、日本や世界の平和と繁栄のために、これからも奮闘していくことでしょう。
まとめ
この記事では、玉木雄一郎の昔の姿や経歴について紹介しました。玉木雄一郎は、農家の長男として生まれ育ち、大蔵省や外務省などで官僚として働いた後に政治家に転身しました。現在は国民民主党の代表として、政権交代を目指しています。彼の昔の姿からは想像できないほどの政治家に成長した玉木雄一郎ですが、彼の原点は農家の長男であり、国連事務総長を夢見た少年であることを忘れていません。彼は、日本や世界の平和と繁栄のために、これからも奮闘していくことでしょう。
コメント