東区の山車まつり
山車とまつり
- 名古屋の山車(だし)は、元和8年(1622)ころから寛文年間にかけての江戸時代前期において、東照宮祭、若宮八幡宮祭に曳かれた山車に始まり、現在の形に近い山車が登場したのは、万治元年(1658)になってから
- 江戸時代後期(寛政〜天保年間)には、三之丸天王祭(現在の那古野神社)に曳き出された車楽(だんじり)に、献灯し祭りを盛り上げる見舞車としての山車の新造があいつぎ、中心部以外でも、建造されたり、あるいは他の地域から購入したりして、近在に広がった
東区の山車
左:神皇車(じんこうしゃ)筒井町 右:河水車(かすいしゃ)出来町
湯取車(ゆとりぐるま)筒井町
左:鹿子神車(かしかじんじゃ)出来町 右:王羲之車(おうぎししゃ)出来町
- 毎年、6月の第1土曜日・日曜日の例祭日に天王祭が行われ、筒井町天王祭には、神皇車、湯取車が、出来町天王祭には、西之切の鹿子神車、中之切の河水車、東之切の王羲之車が、注連縄(しめなわ)の張り巡らされた町内を曳行(えいこう)
- 東区には、神皇車(じんこうしゃ)、湯取車(ゆとりぐるま)、鹿子神車(かしかじんじゃ)、河水車(かすいしゃ)、王羲之車(おうぎししゃ)と称される、5輌の山車があります。いずれの山車も、長い間地域の人々に大切に保存され受け継がれてきた、伝統と歴史のある山車
山車と天王祭
- 天王祭は、もともと牛頭(ごず)天王を祭ることにより、疫病を鎮めようとする天王信仰の祭礼であり、疫病流行のきざしや農作物に被害が出やすい初夏に、これらを払いのけることを祈願する祭
- この地方では津島神社を中心に、古くから各地で、いろいろな形態で行われていますが、からくり人形が載る山車が曳行される天王祭は尾張地方でも数箇所に限られる
筒井町・出来町天王祭 曳行図
徳川園山車揃え ユーチューブ画像
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愛知の山車まつり
山車まつりとは
地域の人々が災厄防除(さいやくぼうじょ)等を願って行う山車等の巡行を伴う祭礼行事
神を囃す(はやす)役割を担う山車等は、各地域の伝統工芸・技術の粋をこらした彫刻・金工・織物等で飾り付け
山車とは
古来、神は天から地上へ降りてくる際、高い山や木等を依り代とすると考えられ、山自体を神とする神体山(しんたいさん)も全国各所に存在
山車はこのような聖なる山への信仰心に基づいたもの
山車の起源は、祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)の「山」にあるとされ、疫病や天災をもたらす祟る神を慰め、他界へ送り出すために始まった
応仁の乱(1467 年~1477 年)以降、京文化とともに「山」が各地に伝播し、その地域ごとに工夫・洗練されて独自の山車文化が形成された
愛知県に所在する山車等の種類・特徴
山車(だし、やま)
- 地域によって形状は異なるが、台車形式の曳山が多い
- からくり人形を搭載しているものが多くみられる
- 名古屋の東照宮祭(とうしょうぐうさい)の影響を受けたと考えられるものが多い
- 形態は「名古屋型」、「犬山型」、「知多型」に大別
徳川園アクセス地図
名古屋駅方面から
市バス | 名古屋駅バスターミナル10番のりば 基幹2号系統、「徳川園新出来」停下車徒歩3分 |
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名鉄バス | 名鉄バスセンター(メルサ3階)4番のりば 基幹バス「引山」方面行、「徳川園新出来」停下車徒歩3分 |
JR | JR中央本線、「大曽根」駅下車南出口より徒歩10分 |
地下鉄 | 東山線「藤が丘」方面行「栄」駅で名城線「右回り」に乗り換え、「大曽根」駅下車3番出口より徒歩15分 桜通線「野並」方面行、「車道」駅下車1番出口より徒歩15分 |
徳川園山車揃え まとめ
愛知県・名古屋地区は山車の数は全国一の数らしい。たまたま、今回「徳川園山車揃え」に遭遇。東区筒井町・出来町天王祭の存在をしり、その山車の姿を見て感激。まつり好きの心も動悸が高まり、少し、山車について調べてみた。豆知識というか、最低限の『山車』に関する知識を持っていることは日本人としての常識。参考記事のサイトもぜひご覧ください
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